あねみの日記

行雲流水.

学振DC1を書いた

最近で一番気力と体力を使ったものになった.しんどみ

 

TL;DR
人類の進歩に役に立つと自分が信じる研究を死ぬ気で提案する

学振を書いた.かなりギリギリの戦いになった.春の学会終了後という中々限られた時間の中での作成ではあったものの,尽くせる限りのベストを出した気がする.最近ベストを出すのが苦手だったから,まぁまぁ頑張った気がする.書いた後は指導していただいている先生方からは結構な評価をいただいた.こんなので受かるんかいな,という気持ちも存在しているが,よくよくアイデアを練ったものではあったから,個人的にはこれで仮に落ちたとしても悔いのない内容となっている.(ただし落ちた時に怒りをどこにぶつけるべきかという問題は残る).せっかく頑張ったので気が向いたらここに執筆の流れを書き,供養しておこうと思う.(そんな暇があったら研究をしろという主張は受け付けない.)正直PVを意識したものにはなっておらず,エモに振った内容になっているので,これはDC1を書く上ではきっと参考にならない.もしも参考にしようとしている学生がいるのなら上のTL;DRをもう1回声に出して読んだ後,他をあたっていただきたい.こんなところまで来るような熱心な学生は上のやつをやれば多分受かる.とおもう.もちろん今まで研究をしていたらの話だけれども......

 

学振DC1の紹介
研究いっぱいしそうな学生に対して毎月20万配るやつ.詳しいことはがんばって検索してくれ.デキル学生は毎月20万なんて目じゃない金額で就職していく.

学振の愚痴
そんなんだから結果的に優秀なやつを集めるというよりも,変わり者を吸い上げる装置になっている.国は本気で博士課程進学者の減少に対して対処した方がいいと思うよ.毎月50万学生に配るぐらいしないと博士後期課程に進学する学生は増えないんじゃないかな.優秀なやつはいっぱいお金配って,優秀じゃない奴でも食うに困らないぐらいにお金渡す.それぐらいやってあげないと全然集まんないよ.てか博士課程在籍者を社会人として認めろ.https://www.mext.go.jp/content/20210427-mxt_kiban03-000014622_5.pdfを見るときの進学を選んだ理由の一位が「経済的に自立したい」になっていない時点でかなり問題あるでしょ.いい加減博士後期課程在籍者を研究者としてなりたての人位の目で見ろ,分かったか.そして金を配れ.「役に立ちそうな研究」とかしょうもないことを言ってはいけない.きちんと「人類のために」お金を落とせ.

申請まで
私は学生の中でも打ち捨てられた犬の様なものだったので,特に就活も行わず生半可な気持ちで進学を決意し,(いや今からでも遅くない,自分よ逃げよ!!),春の学会が終わってから執筆を開始した.これはなかなかに遅いスタートであることを意味する.

研究背景・研究目的・研究計画
正直研究に関する3ページ,中でもその案を絞り出すのに至極時間がかかった.というよりも研究目的や研究計画は何度か白紙に戻している.自身がいい内容を思いついてもそれが体系だって一つの目標に向かっていないとわかれば容赦なく棄却した.正直第一報というか初めに書いたやつもそこまで悪くないアイデアだと考えていたが,結果的には採用されなかった(し,今ではきちんと書き直して良かったと考えている).先生方からフィードバックは貰っていたのにまるで筆が進まない時期もあり,自分は研究者に向いていないんじゃないかと本気で思った.てか思ってる.今はさっさと就活しなくちゃとか考えている(突然のクズムーブ).後作成途中と作成完了後で心理的状態がかなり変わった.びっくりした.書いている途中は結構ぶーたれていたし,あと一歩届かない感じがずっとしていて(一番の物を書こうという気持ちだけはあった).歯がゆい思いはしていたが,エイヤの気持ちで最後は出した.完成度は低いが光るものはあるように感じた.それが認めらたか分かるのは半年先だ......

自己評価とか
「俺はがんばってるんだぞ」と「俺は研究をやるんだぞ」を書く.エモに振ったのである意味ウケはよかったがふざけ過ぎといわれたので色々エピソードなどは修正した.ぶっちゃけ業績でタコ殴りしているような気もするがよく見ればそんな大したものでは無かったので考えものである.先生方も重視していないが,個人としてはもう少し頑張って書いた方が良かったかもしれないと感じている.とはいえどうしようもなかったかもしれない.

3日坊主

今は学振が書けないから仕方ない......
とか言ってたらダメ、めんどくさがりだなぁ。

そういえば先日平日にお休みをいただいて(半強制的に休んで)ホテルのラウンジでパートナーと一緒に過ごしていました。普段は何もしていないから一緒に暮らしていてもまるで会っていないんだなって思っていろいろな事をほとんど一方的に相談してた。その人とはかなり長い付き合いなんだけれども、きちんと言葉にしないとほとんどの事が伝わらなくて、でも「察して」と言いまくってたらある程度の察しを効かせてくれるようにもなっていて、なかなかに人間というものは面白いなぁと感じていた。

ホテルでは一泊二日しており、二日めはほとんど相手の新しい職場での防具(なんでもオフィスカジュアルなんだとか)探しに明け暮れていた。普段から歩きスマホ上等で注意されまくっていた私はたまには「スマホ捨てるか」と思い立ち、その日は電源OFFでカバンにしまい込んで過ごしてのだけれども、なかなかに過ごしやすい一日で、また満足度もすごく高かったのを覚えている。スマートフォンも使い方が大事で、結局ドーパミンをひたすら垂れ流させるだけの装置になってしまっていたら元も子もないんあだなぁと思いました。気を引き締めなきゃ。

とりあえず学振を書き終えないと何もできない状態になっているが、これもよくないんだろうなぁと思っている。このもやもやした気持ちについても後日はなせたらいいな、と考えている。これもきっと個人の大事な問題なんだろうなぁ。

多(3)軸度ってなんだろう

とりあえず学習したことをアウトプットしないとだめだなぁと思う今日この頃、今回は応力3軸度/応力多軸度について学習したことを述べていこうと考えている。但し本文を書いている時点では知識ゼロなのでこれから埋めていくものとする。本当はこういうのにきちんとタグ付けなどを行ってブログとして管理していくのが正しいとは思うのだけれども、今まで様々な3日坊主をかましてきた私にそれができるのかは分からない。

 

★注意事項
・素人記述なので内容に関して保証はしません。
・但し間違いなどを指摘してくれるとありがたい。

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ブログを書こうと考えたきっかけ

今日はなぜブログを書こうと考えたのかを記したいと思う。

実は高校生時代からブログを書いてはやめ書いてはやめを繰り返してきた。その中で感じていたことの一つに、自分は考えをまとめるのが(正確には言語化するのが)苦手であるということがある。これをいつかは克服したいと考えていたが何も成長を実感しないままに歳を重ねてしまった。

いけない。思えば何もかもがそうであった。まとまらない書類。散らかったPC上のファイル、手を付け始めたはいいものの投げだしたプロジェクト(そんなものあるかな)、収拾もつかず頭の中に降ってわいては雲散霧消する数々の思索、洗濯機に放り込まれない脱いだ服。(本当のところが同であるかはさておいて、)物事には何事も始まりと終わりがあるようにしておくのが実際にはよいのであるが、自分はどうにもそれが上手くできないたちであるということが分かった。いや、世の中の多くの人は実際きちんと手じまいや整理整頓をしているのかはわからないが、とりあえず今の自分が上手くいっていなくて、その原因の一つがこの片づけられない病というか捨てられない病というかにあると思う。病でもないかもしれないが。最近は捨てられない病は克服しつつある(気がする)。ここまで書いて、散らかしている自分は、捨てられない病と片付けられない病の二つにおぼれていることに気づいた。

捨てられない病の原因は分かっている。昔子供のころに読んだ絵本「ちいさなくれよん」が原因だ。小さい頃の自分はその本にいたく感動して鉛筆を鉛筆削りに掛けられるギリギリまで使っていたりした。いまだに小学校時代の鉛筆を捨てられずにいるのだからまぁ、そういうものなのだろう。でもこれは画期的なアイデアで解決できることが分かった。教えてくれた今のパートナーには感謝している。

片付けられない病の方は深刻だ。この側面は自身の「理想主義」「優しさ」をつかさどるパーソナリティーとも関係している。いつかこの辺の考えも整理出来たらいいなとは考えている。しかしながら結局は自分の甘さにかかわる部分であるから、そこを何とかする必要がある。この「甘さ」にもいろいろな種類があるのだけれども、これらをどう克服したらよいのか自分にはまだわかっていない。またこの「甘さ」は父親から遺伝しており、自分が父親のようになりたくはない(部分がある)ことを考えてもどうにかして克服する必要があると考えている。

しかしながら考えの雲散霧消に対してはこのブログで対処することができると考えた。自分の学習した内容と思索の整理をこのブログでは行っていきたいと考えている。もう脳みその年齢的なピークを迎えた自分はここから衰退していく自身の脳みそと戦う必要がある。さもなければ、、、、、、

抽象的なことを考えるのは好きだし、得意だとも思っている一方で、それらは何の実にもならないことが多い。そして父はそんなことばっかり話しているうちにおかしなことを言うようになってしまった。人生に残された時間は少ない。本当に必要なものだけを残した方が良いところまで来ている。そんなことはわかっているのだ。ただある人の言葉が脳裏をよぎる。「無駄なことにこそ価値があるんですよ」この言葉は自分の心の情緒的な部分をくすぐる。無駄なものを無駄だと切り捨てられるほどに自分は強くない。あるいは無駄を徹底的に排除した先に空っぽの器しかないのではないかと恐れているところもある。「恐怖」も自身の性格を表しているのだろうな。これはでも置き換えれば「慎重」という長所に生かせる部分であるからよくよく考えておこう。

 

ブログ始めました。

昔書いていたことを思いだしたので久しぶりに日記でも書いていこうかな、と思いました。

ここでは雑感や実の周りに起こったイベントの中で、特に気にとどまったことを吸い上げて言語化していこうと思います。